市報わかやま 平成28年9月号
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市報わかやま 平成28年9月号2市報わかやま 平成28年9月号2永EISUIFUKYU垂不朽 特集 / 徳川吉宗公将軍就任300年「永えいすいふきゅう垂不朽」。名声などが末永く伝えられ、滅びないという意味です。「幕府中興の祖」と呼ばれた、江戸幕府八代将軍・徳川吉宗。その政策の数々は高く評価され、現在まで伝えられています。吉宗が将軍に就任し、今年でちょうど300年。改めて、その偉業や人物像に触れてみませんか。誕生 吉宗は1684年、紀州藩主・徳川光みつさだ貞の四男として生まれました。13歳の時、将軍であった綱つなよし吉と江戸城で対面。翌年、綱吉から越前3万石の領地を与えられました。 転機が訪れたのは、吉宗が22歳の時です。父・光貞の跡を継ぎ、紀州藩主となっていた長兄・綱つなのり教が病死。さらに、綱教の死から3か月後には光貞が、その翌月には紀州藩主に就任して間もない三男・頼よりもと職が相次いで亡くなった(次兄は幼い頃に病死)ことから、吉宗は紀州藩五代藩主に就任しました。 藩主となった吉宗は、困窮していた紀州藩の財政改革に着手。有能な人材を積極的に登用し、農業振興や倹約などを行った結果、金14万887両、米11万6400石の貯蓄ができるまでに、紀州藩の財政を建て直しました。八代将軍に就任 1716年、七代将軍徳川家いえつぐ継が8歳で病死し、将軍家の直系の跡継ぎが途絶えたことから、「御三家」である尾張藩、紀州藩、水戸藩の中から、次期将軍が選ばれることになりました。尾張藩や水戸藩を推す者もいま年譜(吉宗誕生~現在)1684年徳川光貞の四男として生まれる1694年名前を新しんのすけ之助と改める1697年越前3万石を拝領1705年紀州藩五代藩主に就任名前を吉宗と改める1706年伏ふしみのみやさだゆき見宮貞致親王女・真さなのみや宮理まさこ子と結婚1711年長男・長ちょうふくまる福丸(後の家重)誕生1715年三男・小こじろう次郎(後の田たやす安宗むねたけ武)誕生1716年江戸幕府八代将軍に就任 「享保の改革」に着手 ・町火消組合の結成 ・目安箱を設置 ・小石川養生所の設置 ・足高の制を制定 ・公事方御定書を制定 など1721年四男・小こごろう五郎(後の一ひとつばし橋宗むねただ尹)誕生1745年長男・家重に将軍職を譲る1751年死去2016年吉宗公将軍就任300年元日、砂の丸広場でPR活動開始を宣言しました。ロゴマーク「徳川吉宗肖像」 (市立博物館蔵)
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